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脳死は人としての死か?ラザロ徴候 を考えるの巻 [生物]

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ラザロ徴候とは脳死とされる患者が自発的に手や足を動かす動作のことと意義付けられております。
由来の名前は新約聖書でイエスによってよみがえったユダヤ人のラザロから来ているそうです。

皆さんは、脳死をどう位置づけますか?
ボクはやはり、脳死は人としての死と受け入れなければならないと考えます。

だって、完全に生かされている状態でヒトっていえますか?

社会倫理上、宗教上いろいろな考え方がありますが、中山研一先生は、こんな風に考えを述べております。

【「ラザロ」とは、「新訳聖書」の「ヨハネによる福音書」に登場する、イエスによって死後4日目に蘇らされたという人物の名ですが、ここで「ラザロ徴候」とは、脊髄反射とも脳幹反射ともいわれる、すぐれて人間的でなめらかな動きのことを意味します。それは、具体的には、脳死判定の最中や前後に、ベッドに横たわった脳死者の両手が、直接触れるなどの刺激を与えていないのに突然持ち上がり、胸の前で合わさってまるで祈るようなしぐさをするというものです。つまり、それは、いわゆる「長期脳死」の典型的な一例をあらわすものとして、注目されているのです。ご承知のように、2009年7月の国会で、1997年の「臓器移植法」の根本原則を変えてしまうような改正案があわただしく通過し、2010年7月から施行されることになっています。
 遺族の代諾や親族優先規定にも原則的な問題がありますが、とくに子供の脳死判定の困難さが賛成論者からも指摘されていました。そして、それが子供の「長期脳死」の問題として浮かび上がってきたのです。脳死になっても、30日以上も心臓が止まらず、ときには1年以上も鼓動が続き、子供の場合は身長も伸びるという事例が世界各地で報告されるようになり、テレビ放映もなされたようです。「ラザロ徴候」もその一つです。
 このような状況の中で、脳死を人の死として臓器移植をしてよいのかという疑問が出てくるのは当然でしょう。脳死体に麻酔剤や筋肉弛緩剤を投与してからメスを入れるという現実にも違和感があります。改正法が慢性的な臓器不足を解消するという保障もありません。むしろ脳死者からの臓器移植の是非を根本的に再検討すべき時に来ているというべきでしょう。】
中山研一の刑法学ブログより抜粋

ホントこればっかりは、難しい問題ですね。。

それでは、「ラザロ徴候で抱きしめて」を鏡音リンさんに歌っていただきます。重いですけど、考えさせられる動画ですよ!




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